薔薇十字館

うたた寝

大学の頃の友人が興奮気味に「是非紹介したい人がいるの」と言うものだから、
僕は仕事をずる休みして、寂れた喫茶店でコーヒーを啜っていた。
すぐに来ると電話で連絡があったのはもう数時間前だったので、
そろそろコーヒーで夕食を済ませたと思えるくらいお腹が張っている。
これは一杯喰わされたか。そう思い、立ち上がった瞬間、
僕を呼ぶ声が喫茶店の出入り口から聞こえてきた。
仕方なく椅子に腰かける。すると、彼女とその連れがそそくさと目の前の椅子に腰かけた。
「御免御免、遅れちゃって。」
そういいながらも全く悪びれていない姿は若干僕の眉を吊り上げさせたが、
赤の他人の前だったので抗議の声を上げることを取り止める。
「紹介するね。この人。シガスカオ君。」
「え、スガ・・・」
「何言ってるの、シガスカオ君よ、ね?」
同意を求められた友人のとなりに座った男は深く頷くと、
「シガスカオです。」
と名乗った。

どうやら聞き間違いではないらしい。
が、ばかでかいサングラスに癖っ毛を染髪したスタイル、
趣味が悪い柄のシャツはどこからどう見ても例のシンガーソングライターにしか見えない。
「凄いでしょ、私にも芸能人の友達が出来たのよ。」
なんだ、それを自慢したいがために僕を呼んだのか。
得意気な友人を見ながら落胆の度合いを深めたのだけれども、
そんな芸能人を聞いたことがない僕は
「もしかして御本名がスガなのですか」
と食い下がる。
すると友人は僕に食いつかんばかりに激昂した。
「シガスカオ君よ!あなた、もう呆けたの?さっきから言ってるじゃない。ね、シガスカオ君?」
「シガスカオです。」
あくまでもシガスカオらしい。そっくりさん芸人なのかしらん。
取り敢えずそんなことで口喧嘩をしても仕様がないので、月並みな質問をしてみることにした。
「仕事何やってるんですか?」
「フリーでシンガーソングライターを。」
「ああ、やっぱりス」
「シガ、スカオです。」
手強い。
しかもフリーでシンガーソングライターである。「フリー」ねえ・・・。
「あ、疑ってるでしょう・・・凄いんだから彼。もうアルバム沢山出してるんだから。」
「どっち系やってらっしゃるんですか?」
「ファンクを少々。」
意味が分からない。
どう考えてもレコード店で売っている「彼」しか思い浮かばない。
しかも「少々」?お見合いで趣味を聞いているんじゃないんだから。
「これ、一番新しいCD。良かったら聞いてみてください。」
おもむろに彼はCDを差し出す。
「ファンクフォーリング」と題されたCDには、視線が分からないサングラスをした彼が腰上で写っていた。
何処かで見たことのある構図に、僕は目眩を覚える。
いや、ここで負けてはいけない。気を取り直し、彼を見る。
否、見られない。この状況は明らかに可笑しい。可笑しすぎる。
「今日紹介したのはね、絶対あなたとシガスカオ君友達になれると思って。」
なんだ、自慢したいだけではないのか。
少しだけ気分が良くなったのも束の間、彼女は酷いことを言い出した。
「だって、シガスカオ君て変態なのよ。三十八分十五秒もテレフォンセックスしたり、
自分のマンションのエレベーターで欲情したりするのよ。」
まるで同類だと言わんばかりである。しかもどこかで聞いたことがあるぞ。
「僕が何時マンションで欲情したんだ」
抗議の声を上げても友人は気にもしないで話し続ける。
「クラス一番の優等生に悶々としてたじゃない。あっちのバナナ自慢とか心の中でしてそうだし、
おんなじよね?スガシカオくん?」
「いや、シガスカオだろ。」

冷静に突っ込みを入れながら、僕は目が覚めた。
ディスプレイには書類が表示され、その周りには紙束が山になっている。
馴染みの職場で目覚めたにも関わらず、僕は下らないことを考え続けていた。
夢に意味を求めても意味がないことは分かっているのだけれども、僕は下らないことに対して、どうしても離れられないでいる。
何故僕は、「彼」をフルネームで呼び続けたのだろう・・・。