薔薇十字館




洗面台に蝋燭を三つ浮かべて彼女は楽しげにユニットバスのバスタブの中で微笑んでいる。
電気を消して微昏くなっている浴室は何時も一人で入っているバスタブとは全く違うものに思える。
僕はといえば便器の蓋に腰掛けて、バスタオルを抱えていた。
バスタブを覆い尽くすシャボンに蝋燭の灯りが反射して彼女の美しさを際立たせているように思える。
・・・いけない。こんな事だから。
僕は頭を振りながら蝋燭の灯火を眺める。
蝋燭の火は1/f揺らぎで微妙に揺れているから人に安堵を与えるのだという。
だが今の僕に取ってみれば安定と云うよりも不安定な気分にさせられている気がする。
なあ。何時までも泡で遊んでいる彼女に呼びかける。
彼女はうん、と首を傾げるような仕草で僕の方を向いた。
此の仕草は計算していないのだろう。否、瞞されている気がしないというのが正解かも知れない。
逢うようになって間もないけれども何となくそう思えた。
見蕩れる僕を怪訝そうに見ていた彼女はどうやら座っていることに飽きたと思ったらしく
水面に浮いた泡を投げつけてきた。
堪らず抗議するが構わず僕にかけ続ける。
僕は彼女の顔にバスタオルを投げつけると、服を着ているのも構わずにバスタブの中に飛び込んだ。
狭いユニットバスには二人入るのは少し窮屈で動きにくい。
僕は両手でタオルを取った膨れっ面の彼女に泡をかけた。
多分、これが僕達の最後の楽しい時間なのだろう。
別れを告げる、つもりだから。

ねえ、僕達知り合ってどの位になるかな。
いい加減戯けあうのに疲れた僕はお湯に浸かりながら彼女を後ろから抱きしめ囁いた。
彼女は泡をすくい上げながら
そうね、知り合ってからは半年くらいかしら。
と答えた。
半年間色々なことがあったものだ。
喧嘩し、慰め合い、慈しみ合った。
僕は大きな二重の目と其の柔軟な思考力と包容力に惹かれ、
彼女は・・・何處だろう。僕には未だに分からないが、どこかに惹かれたらしい。
そして半年、僕は重大なことに気付いたのだ。

もう逢わないようにしようか。
其れは唐突に僕が口にした一言だった。
振り向こうとする彼女を制止しながら僕は続ける。
これ以上付き合っていく自信がないんだよ。
如何して、と彼女の震える声が小さく聽こえる。
何處か遠くから話しかけられているような、不思議な感覚。
云いだした僕自身がショックを受けているのだろう。
僕は抱きしめる腕に力を込めると、彼女の方に顔を埋めてこう答えた。
これ以上君と一緒にいると、僕は君から抜け出せなくなってしまう。
彼女は多分、目を見開いている。
驚いたとき、困惑したときの彼女の癖。
そして次の言葉も分かっている。
わかったわ。もう逢わない。

別れ話をすれば必ずすんなりと受け入れてくれることは分かっていたのだ。
物わかりが良いような振りをして自分を押し殺す事に慣れてしまっているのだろう。
そんな君が好きだったんだ。僕は今でも愛しているのに。

その日僕達はきつく抱き合いながら眠った。
最後の夜に、いっそ混ざり合って同化してしまえば良いと思うくらい、
強く抱き合いながら。