薔薇十字館

喫茶店に入るなり笑顔、引きつってるよ、と云われた僕は酷く動揺した。
そんなこと無いよ、と云いながら餘計に引きつった笑みを浮かべてしまうから性質が悪い。
どうせ女でしょ、君のことだから。
彼女は呆れ顔でカプチーノを頼むと、窓の外に視線を向けた。
硝子越しには聽こえないが、外は土砂降りで、
傘を斜めにさした人波が驛の方向に流れていく。
誰一人感情を顕そうとしない人の塊。
果たして其の全ての人形のような頭に感情があるのだろうかと疑いたくもなる。

・・・五月蠅いな。處で何故僕を呼びだしたんだい?
ロボットのようなウエイトレスが運んできた紅茶を不味そうに啜りながら
僕は何気なく、何気なく聽いてみる。
別に大したことじゃないのよね、等と笑いながら答える彼女はとても楽しげで、
全ての憂鬱を肩代わりさせたくなる程だ。
何時も笑っているのは疲れるだろうに。彼女はどんな人の前でもにこにこと笑っていた。
仮令親が死んだとしても、彼女は笑っているだろう。
どうせ男だろう。意地悪な視線を送ると案の定、彼女の笑みも引きつった。
押す場所さえ弁えれば、脆くも崩れるものだ。

結局似たもの同士なのかな。彼女は溜息混じりにスプーンでカプチーノを掻き回す。
似たもの同士という言葉に若干の反発を覚えながらも、そうだね、等と相槌を打った。
物思いに耽る彼女の姿は恐らく、僕にしか見せない姿だった。
細面の白い肌はさぞ男好きするだろう。
やれやれ。これでもう少し賢ければね。そんな餘計な御世話を燒いてしまいたくもなる。

ぼう、とそんな彼女を眺めていると、彼女の唇が予想だにしなかった動きを見せた。
ねえ、私達くっついちゃおうか。
後ろにひっくり返りそうになりながら問い返すと、どうせ一人なんでしょう、等と宣う。
いや、そうじゃあないんだけれども。
僕は冷や汗をかきながら否定すると、何やら納得がいかない樣子でいぶかしむ。
まあ、取り敢えず君と僕が一緒になることはないよ。僕は視線を逸らしながらティーカップに
手をかけた。
人間というものは不意を突かれると平常心に戻るのは難しいもので、
なかなか彼女の顔を見ることが出來ない。
そんな僕の心情を知ってか知らずか彼女は、良いじゃん一回くらい、と膨れた。
こんなに可愛いのに真逆君ってゲイなの?
僕はゆっくり首を振ると、予約済みなんだよ。と笑ってみせる。
ケチ。どうせ似合わない純愛なんか演じてるんでしょ。彼女はスプーンで僕を指した。
むくれた顔も愛らしく見えるから彼女は得なものだ。
如何して穿った見方しか出來ないんだ。ついでに僕は清貧だ。ケチじゃあない。
そう切り返すと、彼女はにっこりと作り笑いを浮かべ、
じゃあ此處の伝票、お願い。
と云って入口に向かった。
やれやれ。負けるよ君には。

それじゃあね。そう殘して彼女は驛に向かった。
僕は、また何時か、と彼女の後背に聲をかけて反対方向に歩き出す。
結局お互い何も聽かないままだったのだが、彼女は其れで満足だったのだろうか。
ふと気になって振り返ると、急ぎ足で驛に向かう人混みの中に
肩を落として歩く彼女の後ろ姿があった。
本当に折れそうな細い肩を下げ、俯向きながら歩く彼女はとても寂しそうで、
弱かった。
嗚呼、そんな歩き方をしないでくれ。

誘惑に、負けたい。