きつい香水の香りに耐えかねた僕は堪らずトイレに逃げ込んだ。
久しぶりに取った客は香水マニアのようで、
話すことは香水とアロマオイルのことばかりだった。
聞きかじる位の知識しかない僕は其の話についていける筈もなく、
相槌しか打つことが出來ない。
事務所の話では普通の子だということだったのに。
髭面の社長の顔を思い出すだけで腹が立ってくる。
今頃机に突っ伏して腹を抱えて笑っているに違いない。
鏡の前で頬を二度、両手で叩くと僕は彼女の待つバーカウンターに挑むことにした。
トイレのノブを捻るだけで、微かに彼女の付けたエタニティーの香りが流れ込んでくる。
まるで毒ガス攻撃だ。香りに色が付けられるならば辺り一面ピンク色になるに違いない。
お待たせ。僕は引きつる顔を無理に歪めて隣に座った。
彼程人がゐた隠れ家は、何時の間にか僕と彼女の二人だけになっている。
あまりに強烈な香りに居心地が惡くなったのだろう。
それはそうだ。僕だって仕事じゃなければこんな處にいる筈がない。
マスターも厭そうにグラスを拭いている。バーカウンターの中には換気扇が用意されているから
客が帰ったことに対して厭がってゐるんだろう。
御免マスター。目配せをして謝るが、マスターは応えてくれそうな気配がない。
「私って可愛くないのかな。」
彼女は悲愴な面持ちで僕を見つめる。消して美人とは云えないが、
零れそうな眸と優しそうな唇、筋の通った鼻を持つ彼女はとても魅力的だ。
化粧もベースメイクから組み立てているのだろう。非の打ち所のない
テクニックには感服するばかりだった。
「皆私を見るとき顔を蹙めるの。一生懸命奇麗になろうと努力しているのに、
努力すれば努力するほど皆離れていくのよ。」
カウンターの上で組んだ手を見つめながら寂しそうに呟く。
僕はいたたまれなくなって俯いた。彼女は気付いていないのだろうか。
自分の放つ香りに対して。
「エタニティにレモングラスとラヴェンダーを混ぜた其の香りの所為だと思うよ。」
僕は率直に、思ったままを告げる。
常人が耐えられる範囲を超えた香りの圧力は貴方を魅力的に見せるものでは無いと。
すると彼女は左手を僕に差し出した。プラチナのリングが細い指を控え目に、そして優しく飾っている。
「彼がいるの。でも、彼を独占したいと思えば思うほど其の手段が無くなっていくのよ。
奇麗になっても、服に気を使っても不安なの。」
だから、と彼女はハンドバッグの中からアトマイザーを取りだして僕にアトマイザを手渡した。
「香りだけでも独占したいのよ。」