薔薇十字館
久しく来訪者がなかった此の家に青年が再訪したのは、
もう空が高く、息が白くなった季節だった。
久しぶりに見た彼は、前に見たときより決意と自信に漲っているように見える。
そう、彼は妹と結婚するはずだった。
しかし父親の猛反発があって結局別れてしまい、そして彼は姿を消したのだ。
「まあ、上がり賜え。」
憤慨する父を宥めながら彼を応接間に案内する。
窓から見える外の景色は、もう夕闇に飲み込まれそうだった。

突然來てしまって濟みませんでした。
彼は深々と頭を下げた。
余程気にしているのだろう。彼はなかなか頭を上げようとしない。
僕は取り敢えず頭を上げて下さい、と彼を促しながらサイドボードからスコッチを取り出した。
滑らかなカーヴを描くロックグラスに注ぎ込むと、彼に差し出す。
「如何して今日は此處に。」
僕は煙草に火を付けると、彼の正面に座った。
鉛のような空気が部屋の時間を停止させる。
そういえば前も味わったことがあった。一秒が引き伸ばされて張り附けられた感覚を。
その時は父の怒声で捩じ曲げられたのだが。
「・・・實は今日こそ妹さんを頂きたくて來ました。」
そんな空気に耐えかねたのか、受け取ったグラスを口に運ぼうともせずに彼は話を切りだした。
「もう、2年ですか。貴方は連絡一つ寄こさなかったのに。」
「分かっています。でも、其れはお義父さんを満足させるために必死にやってきたからで。」
彼は言葉を詰まらせると、頂きます、とスコッチを傾けた。
「来るのが遅かったようだね。」
僕は煙草を燻らせると、目を伏せた。
「じゃあ彼女はもう他の誰かと。」
「否、そうじゃあないんだよ。」
動揺する彼を落ち着かせると、僕は煙草で天井を指した。
「死んだんだよ。去年の今頃にね。」
紫煙は渦を巻きながら上へ昇っている。

彼はそんな、と云ったきり、身動き一つしなくなった。
「ほら、そろそろ君の誕生日だろう?何度送っても返ってくるというのに
妹は君にプレゼントを買いに出掛けたのだよ。其の帰りにね。」
僕はかけてあったドライフラワーを彼に投げ付けると、煙草をもみ潰した。
時計の音が、耳障りだ。空間に秒針の音が裂傷のように刻み込まれていく。
「最高のものを手にしたならば、何があっても離しては為らないのだよ。
仮令如何なる障害があろうとも。」

彼は未だ状況が飲み込めていないようだ。
姿勢を崩そうともせずに虚空を見つめている。
「ハッピィバァスディ。」
僕は最後の一本の煙草に火を付けると、外に向かって煙を吐き出した。
ドライフラワーには花弁など付いてはいなかった。