薔薇十字館





「後悔していないんですか?」
男は僕を見据えたまま動こうとしない。
僕は男の懷かしむような、慈しむような視線を避ける為に
目を伏せた。
「姉さん、ずっと泣いていました。」
姉は此の男に遊ばれていたのだ。其れを知ったのは、姉がデザイナーとして
オランダに行く事を飲んだ時だった。
「私、愛されていなかったのよ。」と悲しそうに微笑む姉はあまりにも存在として
頼りなく、果敢な過ぎて、僕は覺悟を決め、姉のアドレス帳を盜み出したのだった。

「よく来たね。」
男は俯向く僕の前に紅茶を差し出してそう云った。
姉が好きになるのも分かる氣がする。
柔和な物腰と涼しげな瞳。
もっと非道い男だとばかり想像していた僕は拍子拔けしてしまった。
「御姉さんは、元氣、なのかな。」
男はティーカップを持ち、ソファに腰掛けた。
「元気なわけが無いじゃあないですか。貴方が行くなと云わなかったから、姉は・・・。」
「・・・すまない。」
僕は男のティーカップを見据えた。目を合わせたら負けそうな氣がした。
「姉を愛していなかったんですか?」
男は暫く默っていたが、
「愛していたよ。誰よりも。」
そう吐き出すように呟いた。
「じゃあ、如何して。」
思わず立ち上がった僕の膝がローテーブルに当り、紅茶に水紋が広がっていく。
男は僕を見上げながら、憂いを溜めた目で僕を見た。
「愛しているから、止められなかったんだよ。」
此の男は姉を愛している。そう目が語っていた。
「愛しているから、自分が御姉さんを仕合せに出來るかどうか、不安だったのだよ。
本当に仕合せにしたいから、自信が無かったんだよ。不安になる程、愛していたんだよ。」
暖かい春風が僕の前髪を搖らす。
男はそれ以上、何も云わずに目を伏せ、俯向いた。
こんなに、風は暖かかったかな。
ふと氣附いて泳がせた視線が開け放たれた窓辺を捉えた時、僕も目を伏せた。

「・・・愛して、いるんですね。」
「・・・愛して、いるんだよ・・・。」

レースのカーテンが柔らかにはためく窓辺に飾られた額の中には
仕合せそうに微笑む二人が居た。