薔薇十字館

涙を飲もう。


シャトー・ラトゥール(ビンテージ不明)

僕はアルバイトの上司に当たる人にワインの試飲会に誘われた。
昔は街でならした不良だったんだぞ、と誇らしげに自慢していた上司は
太い二の腕や無骨な指から見ると慥かにその風体を醸し出している。
ワインと不良、というあまりに似つかわしくない組み合わせに
ワインはどのような、と聽くと、ラ・ミションオーブリオンや
クロ・ド・ブージョなどの名だたるワインの名前があがる。
實はかなり詳しいらしい。
会場となった同僚である呉美の部屋につくと、其処にはリーゼントの男と
昏い茶色の髪をした呉美が居た。
リーゼントの男は自己紹介をすると、誇らしげにワインを掲げた。
どうやら今日のワインは彼が用意したらしい。
話を聞いていると、上司はこの男からワインを教えてもらっているらしい。
職業は板前で、妻に止められつつもワインに嵌ってしまっているそうだ。
人を外見で判断するのは良くないが、これほどスーツの似合わない男達が
ワイン通だというのには驚きを通り越して呆れてしまう。


ワインの試飲会が始まり、次々とワインをあけていく。
格付けの低い物から飲んで行くに連れ、ふくよかな味わいと
酔いが躯を回る。


いよいよ、ラトゥールの番が回ってきた。
僕はその時まだラトゥールを飲んだことが無く、期待に胸を膨らませていた。
グラスに注ぎ、色を見る。底の見えないガーネット。
手にしてトワリング。黒すぐりや香辛料の薫り。
味わいは・・・柔らかい。舌の上を這うように移動するタンニン分。
ベルベットとはこういう物だ、と云わんばかりの威圧感。
これこそエレガントだ、とため息混じりに云ったその時、
突然リーゼントの男が話を切りだした。
呉美とつきあうことになったんだ、と。


僕は呉美のことを好きだった。そのことを周囲に公言してはばからなかったし、
呉美も困った顔をしながら笑顔で僕の誘いに乗っていた。
周囲はもうつきあっているものと思っていたらしいが
僕は結局了解の返事は聞けなかった。
この男はこの咄を知っていたらしく、僕に気を使ってくれたらしい。
真逆このようなところに伏兵がいたとは・・・。


・・・沈黙の後、僕はこの咄を了承した。これだけ追いかけてもいい返事がなかったのだ。
仕方がない。
不思議に悔しさが溢れてこなかった。
何故だろう、と思ったとき、目の前にあるラトゥールの吸い込まれるような
紅黒いグラスがあった。
そうか、今涙を飲んでいるからなのだ・・・。
グラスをを口に運ぶ。旨い。タンニンの渋みが涙の辛さを連想させる。


どうやら上司と呉美は眠ってしまったらしい。
男は黙々と飲み続けている。
流石に僕の饒舌も止まり、この沈黙に身をゆだねている。


ああ、もう一杯もらおう。これで思い出も、飲み干そう。