薔薇十字館

永遠の若さ


AOCボージョレ

突然降り出した雨の中、僕はビルの野外にあるレストスペースで人を待っていた。
パラソルに落ちる雨の音が心地よい。
だが雨が降っているため野外のレストスペースにいる者など殆どおらず、
隣接するデパートに行こうとする客だけが急ぎ足で素通りしていくだけだった。
まだ来ないのか、あいつは。
僕はそろそろ待ちくたびれていた。もう3時間もこの椅子に座っている。
もう来ないだろう、そう思った矢先、後ろから肩を叩かれた。
「久しぶり。」
「遅いじゃあないか。何時間待たせていたと思っているんだ。」
「すいません、いろいろありまして。・・行きましょうか。」
そういうと彼は親指で電車のホームの方を指さした。


彼は仕事上の後輩にあたる男で、良く一緒に仕事をしたり飲んだりしていた。
優秀な相棒を持った僕は業績を上げていった。が、しかし彼は突然姿を消してしまった。
僕は彼のことを親友と見ていた。彼もそう思っていると思っていたのだが
僕に何も告げずにいなくなってしまった。
その彼が突然僕に連絡を取ってきたのだ。正直僕は驚いた。
何故今頃になって。僕はそう云ったのだが、彼は僕の方を一瞥しただけで
何も云おうとはしなかった。


暫く電車にゆられると、僕達は彼が失踪する前に棲んでいたマンションに着いた。
彼の口座には家賃を十分に支払っていけるだけの余裕があったらしく、
今でも失踪した当時のままだった。
彼は自分の部屋のドアを開けると、入って下さい、と僕を促した。
部屋の中は小綺麗なもので、リビングにはテーブルセットが置かれている。
彼は僕を椅子に座らせると、キッチンの方に消えていった。
本当に何もない部屋だった。
電話さえ置かれていない。携帯電話だけで過ごしていたのか。
電話線を引くのをけちっていたのか?
よく見ると本棚もテレビもない。その度合いは小綺麗と言う言葉を通り越していた。
生活臭というものがまるでない、まるでモデルルームのような部屋だった。
おかしい、おかしすぎる。本当に何も無いじゃあないか。なにも・・・。
彼は椅子に座るとワインのボトルを抜栓した。
「おまえ、本当に此處に棲んでいたのか?」
「ああ、そうですけど。おかしいですか?先輩だって、マンション住まいじゃあないですか。」
彼は笑いながらグラスにワインを注ぐ。
何時も飲んでいるワインだからそう高いものじゃあないですよ、と云いながら
彼はグラスを僕に渡した。
再会に。僕は彼と乾杯した。燥いた音が響く。
「おまえ何処に行っていたんだ。心配したじゃあないか。」
「すいません、昔から放浪癖があったんですよ。」
全く。人を心配させるのにもほどがあるぞ、
と僕は苦笑しながら残ったグラスの中のワインを飲み干した。
「そういえば何時も先輩と飲むときはこのワインでしたね。」
彼はそういいながらグラスの中のワインを注視る。
云われてみればそうだった。彼と飲むとき、外で飲むとき以外はこのワインを飲んでいた。


「ボージョレ」、軽めで知られるこのワインを彼は愛していた。
ヌーボーからクリュまで彼は全てのボージョレを愛していた。
「まるで僕みたいだ。何時までも若造、だから新鮮。」と自画自賛しながら。


思い出話をしながらボトル2本を開けると、僕は帰り支度を始めた。
すると彼は寂しそうな顔をして、「もう、僕達あえないんですよ。」と漏らした。
どうしてだ、と聽くと、彼は窓際に進んで、消えた。
文字通り。消えてしまったのだ。
まるで夢のような光景に僕は呆然とした。消えただと?そんな馬鹿な。
慌てて僕は窓際に走った。そこで僕は見てしまった。
彼が頸筋から血を流して土色の物体になっているところを。
死後かなり経っているようだった。
恐らく、失踪したときに死んだのだろう。
窓を開けると腐臭が漂っていた。鳥に突かれて開いてしまった穴が所々にある。
「おまえ、死んでいたのか・・・。」
そういえば此處にはいるときに彼が鍵を使ったようには見えなかった。
不思議に彼の死体を見ても恐怖は沸かなかった。
勿論、さっきまで話していたことにも。


僕はキッチンに行くと、彼がワインを置いていた棚の中をのぞき込んだ。
其処には数えるのを躊躇われるほどのボージョレの木箱が置かれており、
張り紙が張られていた。
「先輩へ。有り難う、親友。」と書かれた小さな紙が。
彼には友達がいなかった。多分僕以外は。
改めて部屋を見回すと寂しい彼の私生活が見て取れた。
慥かに電話も要らないだろう。かける人がいないのならば。
「おまえ、寂しいよ・・・。何で僕に一言相談してくれなかったんだ・・・。」
死体を見つけて欲しかったのか?僕に。
「それなら死ぬ前に僕に云えよ!」
やるせなくなって僕は木箱を思いきり叩いた。
中に入っているであろうボージョレが重い音を立てた。
かまわず僕は何度もたたき続ける。
止まった彼の心臟の音が響いてくるような氣がしたから。
また彼とワインが飲めるような氣がしたから。

堪能する