薔薇十字館

澱が沁みる。


モンローズ’85

「無意味ね、こんな關係。」
彼女はそういうと、デキャンタに注がれたワインを取りにベッドから降りた。
窓辺から見える月が微昏い室内を照らし出している。
僕はべっどから身を起こし、煙草に火を付けた。
かたかたとワイングラスを取る音がキッチンから漏れてくる。
僕はちりちりと音を立てて燃える煙草を見ながら彼女が戻ってくるのを待った。
彼女とはもう2年のつきあいになる。
2年間、ずっと僕達は喧嘩ばかりしていた。
何をするにも対立してばかりで、会うと何時も別れ話ばかりだった。
そして何時もベッドの上で仲直りをしていた。
今日もそのパターンなのか。そう、いつものように。


ぱたん、と音を立てて彼女はベッドに戻ってきた。
「如何して?」短くなった煙草を消しながら彼女にそう質問する。
彼女はトワリングしながら月をずっと注視ている。
僕はかちかちと音を立てる時計を見ながら彼女が答えるのを待った。
靜かにオーディオから流れるクラッシックが耳につく。
五月蠅い。何故彼女は何も答えないんだ。
ふと見ると彼女は僕の方を見ていた。隣でトワリングを続けながら。
「何?何か僕についているかい?」
くるくると回る紅い液體は彼女の心の揺れを顕しているように思えてきた。
真逆・・・。
真逆、本当に別れようと思っているのか?
僕は急に怖くなって彼女の顔を注視た。僕の顔は捨てられた子犬のようになっているだろう。
自分の表情を思い浮かべながら、必死になって自分の顔を平静に見えるように修正しようとする。
懸命に。
すると彼女は冷笑して身を起こし、シーツを躯に巻き付けて窓辺に孤座った。
そして月を見る。今日の月はとても細く折れそうだった。
細い月が照らす彼女は人間には見えない、何か違う生物のように見える。
美を司る神とでも云おうか、青白く光る皮膚と白いシーツに包まれた遺骸と云おうか。
「本気なんだな。」僕は観念したように告げた。彼女は本気だ。
恐らくこの沈黙が答えだった。
彼女はうっすらと微笑みながら僕を見ると、
今までトワリングしていたワイングラスを僕に差し出した。


僕には妻がいた。子供も2人いる。妻は頭も器量も良く、周りは
最高の妻だという。僕もそう思っている。僕には勿体ないくらいの妻だった。
だが彼女の細い躯を抱きしめてしまった時、僕は過ちを犯してしまったのだ。
この二年間、僕は罪の意識にさいなまれていたのかも知れない。
喧嘩の原因も何時も僕だった。彼女は何時も被害者だった。
お互いに折れない、出口のない迷路に幻の終止符を打つために
何時もベッドに潜り込んでいたのかも知れない。


僕は彼女からワイングラスを受け取ると舌の上に轉がした。
こくのある味わいと舌の上を優雅に滑る感触がワインの高級さを顕している。
「これは?」
僕がそう質問しようとしたが、彼女はもう、窓辺にはいなかった。
慌てて周囲を見回すが、彼女の姿は何處にもなかった。
僕はガウンを手にとって部屋を全て見回ったが何處にも彼女の姿はなかった。
探し疲れて僕はキッチンの椅子に座り込んだ。
もう僕とはお別れということか。
虚無感が僕を襲う。永遠にリピートされる音楽が孤独に拍車をかけた。


失意に駆られながらテーブルに置かれた一本のボトルを見て僕は驚いた。
モンローズ、それは彼女が大切にしていたワインだった。
ワインに目がない僕は早くあけようと催促したのだが、
一向にあけようとはしなかった。何時かあける日が来るから、と云って。
こうなる日がその日だったのだろう。
僕はボトルに残った澱をグラスに注ぐと一気に飲み干した。
二年間彼女の中に溜まってしまった澱を飲み干した。

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