薔薇十字館

大人は辛いよ。


フォーリングスター

「待て!アムラー参謀!」
僕は血行の悪い顔をして、「パンピー、パンピー」と呟く集団の長らしき人物を
呼んだ。彼女は悠然と長い髪をなびかせながら、「あら、ルサンチアニメじゃあない。」
とあしらわれる。
「これ以上、オタクの聖域を汚すな!行くぞ!」
僕はそう、叫びながら彼女の方に突進した。
「やってお仕舞い、サークルパンピー!」
「カーット!OKOK。今日はこれでお仕舞い。サヨナラサヨナラ。」


僕は映画会社の特撮俳優を生業としていた。元々役者を目指していたのだが、どうも
体つきが格闘向きと判断されたようで、僕がやりたかったような役、花を愛で、詩を読むような役
とはほど遠い物しか与えられなかった。
飽き飽きしていた頃、此處の会社のプロデューサから特撮俳優の話を振られ、
小遣い稼ぎ程度やってやろうと思っていたら何時の間にか本職となってしまった。
普通の役者家業とどうも勝手が違うので最初は戸惑ったが、勧善懲悪の世界というものが
僕のやるせない心にあったらしく、カメラの前では世界にどっぷりと酔っていた。
酔うしかなかった。このやるせなさを伝えられる人などいなかったから。


「折角早く終わったんだから今日飲みに行こうよ、みんなで。」
後ろから聲をかけられ、振り向くとさっきまでアムラー参謀と呼んでいた婦が立っていた。
彼女は僕よりも2年遅く入ってきた。将来女優になるために、謂わば修行として特撮の方から
入ってきたらしく、僕と全く立場が逆だったので僕は女々しいと思いながらも少しだけ
嫉妬していた。才能も素晴らしく、あらゆる役をこなせそうに見える。
「みんなって、誰だい?」
「アイドルとゲームとトクサツとヤオイとわたしとあなた。」
「・・・役名で呼ばずに本名で呼ぼうよ。」
「え・・・?」」
わかった、行くからもう喋らないでくれ。僕はそう云って歸る準備をしだした。


飲み会の場所になったのは何の変哲もない居酒屋だった。僕は注がれるままに
杯を重ね、振られるままに話を合わせる。
だが、彼女は來ていなかった。この飲み会の発起人だとばかり思っていたのに。
やがて宴も酣になり、僕は居心地が悪くなって先に一人ぬけてバーに足を向けた。
ビルを地下に下り、小さな穴の中に手を差し込んでドアを開ける。
このバーはこの扉の開け方を知らなければ入れない、謂わば擬似会員制のようなところだった。
店内はいつものように微昏く、幻想的な照明が天井を照らしていた。
店の彼方此方に天使や惡魔のオブジェクトが置いてあり、僕の目を楽しませてくれる。
カウンターに座り、バーボンを頼もうとしたとき、
ことりという音と共にロックグラスが置かれた。
「ごめんね、今日こっちに入っているの忘れてたの。」
彼女は特撮だけでは食べていけずにモデルなどもやっていたようなのだが、
此處でもあるバイトをしているらしい。
僕はふぅん、と気のない返事を返してMMの入ったグラスを回す。


「私ね、女優になるの。」
「早い出世だな。」僕は皮肉混じりにそう告げた。
「違うの、違うの。」何が違うんだ、全く。僕はMMを飲み干すと、靜かにグラスを握りしめた。
「私、女優になるのを止めようと思うの。なんか、疲れちゃって。」
・・・は?何だと?
僕はカウンターの中に入り込み、彼女の胸ぐらを掴んだ。
「お前、顔と演技しかないお前が役者をやめて何が残るって云うんだ!」
「何が残るんだろう、ねえ?」
「勝手に云ってろ。」
僕は疲れ切って椅子に座り込んだ。
「あのな、・・・ワインは飲んだことあるか?」
「酸っぱいやつでしょ?」・・・瞞されてるよ、お前・・・。
其処の棚から寝かせてあるワインを取って來なよ、と僕は彼女に促した。
ワインバーではないから置いているワインの値段なんてたかが知れている。
思った通り、彼女が持ってきたのはフォーリングスターだった。
「チリワインは昔、僕達が飲めない位酸っぱかったんだ。そう、お前が飲んだやつみたいに。」
ソムリエナイフを瓶にあてながら僕は彼女に語りかけた。
不思議そうに僕を見つめる彼女は童女の様そのものだった。
お子様め。僕はこの咄を理解できるかどうかはなはだ疑問になってきたのだが、
其処は役者、落ち着いた口調で尤もらしく話し始める。
「でも、世界戦略を念頭に置いた改革で此處まで美味しいワインが作られるようになったんだ。
・・・飲んでみなよ。」
僕は明るい紅をそそぎ込んだグラスを彼女に渡した。
彼女の細い指先がグラスを喉元へ運んでいく。
「チリは強いワインを生み出すのに適した環境なんだ。謂わば天分だよ。
昔は生かせなかった天分を今は生かしている。如何いうことか、領るだろう?」
今までうなずいていた彼女は同意を求められると「何?」という顔をした。
・・・やっぱり聽いて無いじゃあないか・・・。
「まあ、これからもお互い頑張って役者をしていよう、ということさ。」
「わかったわ、アニメ!」
「・・・お願いだから役名で呼ばずに本名で呼ぼうよ。」

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