薔薇十字館

罪と罰。


ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスビオ’95


砂浜に打ち上げられる飛沫を見ながら僕は木陰に座っていた。
海から吹いてくる風は潮風なのか、北風なのか領らないが、とにかく冷たい。
だけれども僕は車に戻ろうともせずにずっと膝を抱えて座っていた。
夕焼けで水面が紫に染め上がっている。
「貴方も來ていたのね、今年も。」
振り返ると黒いファーコートを衣た女性が立っていた。
背の高い、絵画から切り取られたような女性。白く、目鼻立ちの瞭然した顔からは
いつ見ても生気がなかった。手にはグラスとワインボトルを一つずつ持っている。
「貴方も来るだろうと思ってずっと待っていました。」
僕は懐から白いレースの入ったハンケチを取り出し、
風で飛ばされないように敷いて視線を海に戻した。
彼女は僕の敷いたハンケチの上に座り、ワインとグラスを砂の上に置く。
「あいつが死んでもう5年になりますね。」
僕の親友は22歳という若さで車に撥ねられて死んだ。
不慮の事故死ほど厭なものはない。病死や老衰、自殺ならば
前兆のようなものがあるのだろうが、不慮の事故死にはそれがない。
その彼が絵を描きに來ていたのがこの海岸だった。
休日に、四季を問わず朝から晩までイーゼルとキャンパスを持って此處で書いていた。
「彼の絵は全てが海の絵ばかりでした。紅い海、碧の海、白い海・・・
僕が聽いても笑うばかりで答えてくれなかった。如何してなんですか?」
彼女は同じ様に膝を抱え、僕の問いに答えないままに海を見ていた。
うずくまっている彼女はとても幼く見え、三十路近くとは思えない。
「これ、開けてもらえます?」
「え、ええ。」
僕は見蕩れてしまった事にとてもはずかしさを覺えた。
だが、そんなことも思っていられず、ボトルとナイフを受け取り、コルクを抜き取る。
「あの人は私に海の絵をくれると云っていたの。」
彼女はグラスについた砂をワインで洗い流しながら話し始めた。


「私はあの人に何もしてあげられなかった。・・・何もしようとしなかったわ。
彼は私に色んな事をしてくれたから、それに満足しすぎていたんだわ。
色んな事をしてくれたから、私は我が儘になっていった。そして・・・。」
彼女はグラスに注いだワインを飲み干した。細い喉が一口飲む度にゆっくりと上下する。
「もう、5年も経ったから云うけれども、あの交通事故の時に待ち合わせをしていたの。」
「え・・?」初耳だった。慥かにあの時急いで行かなきゃいけない、といって
二人で飲んでいた店を飛び出していったのだが。
顔を歪めながら彼女は話し続ける。
「急いで來てって呼び出したから、交通事故にあってしまったんだわ。
・・・私にも罰が下った。彼の死によって下されたのよ。」
僕は彼女からグラスを渡されていた。
消して不味くはないが、何とも言い難いワイン。僕は彼女の手に持つエチケットを見た。
「ラクリマ・クリスティ。慥かに今日飲むべきワインだ。若飲みで。」
「基督の涙を冠するワイン。懺悔のつもりよ。私のね。」
彼女はまだワインが入っているボトルに、口紅を折り入れ、コルクで再封して海に投げた。
ボトルは放物線を描いて海の方に飛んで行くが、届かずに砂浜に突き刺さる。
彼女は苦笑いを浮かべながら呟いた。


「まだ彼は許してくれないみたいね。」

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