薔薇十字館

最後の味。


シャトームートンロトシルト(ビンテージ失念)


「ドクター、彼を呼んでくれないか。」
私は家に居候している男を呼ぶようにお抱えの医者に告げた。
彼は頷くと、消毒液の匂い漂う寝室を出ていく。
私は自分の死期を感じ取っていた。今に始まったことではない。
あの男が私のうちに居候するようになってから、
ますます強く感じ取れるようになっただけなのだ。
あの男・・・。
あの男はふらりと私の館にやって來て、此處の庭師をさせて欲しい、と云いだした。
私は何のことか領らずに彼の話を聞いていたのだが、
何時の間にか彼の人柄に引かれていってしまった。
彼の話は全て植物の栽培に喩えられていて、私に様々な啓発をしてくれた。
大不況の国を庭に喩え、「庭には四季があります。冬は枯れてしまうかも知れませんが、
春になれば芽が出て、花が咲きます。そして夏が過ぎ、秋になり、また冬が来るのです。」
などと。初めは金目的で來たものだと思っていたのだが・・・。


「お連れしました。」
見ると医者が男を連れて大きな木製の扉から入ってきている。
私は男を近くに呼んだ。
「良く來てくれた。最後に君と話がしたくてな。」
彼はにこりとも笑わずに私の横たわるベッドの隣に置いてある椅子に腰をかける。
「逝ってしまわれるのですね。」
「そのようだ。だんだんと死神が迫ってきている跫が聽こえるようだよ。」
私はからからと笑うと、医者を見た。
「この藪医者が此處まで生き長らえらせたが、もう駄目のようだ。」
医者は苦笑しながら、まだまだですよ、と呟く。
「恐くはないのですか?」
男は私の眉間を見ながらそう聽く。私の魂を見つめられているようだった。
彼の眸は深く、慈愛に満ちていた。
「ああ、不思議と恐くはない。昔はあれほど怖がっていたのにな。・・・君と会ってからだ。
死ぬことに恐怖を感じなくなったのは。」
「そうですか・・・。」
彼は私の嗄れた手を取り、握りしめる。
「今日は最後に一緒にして貰いたいことがあるのだよ。」
私はメイドを呼ぶと、一本のワインを持ってくるように指示した。
「このワインは、私がこの家の財産を相続したときに飲んだワインなのだよ。」
私はワインボトルを愛おしそうに摩った。最後のワイン、か。
「私は今日まで人のためになるように、と思って活動してきた。勿論この財力も使って
のことだが、それが実を結んだかどうか、未だに確信がないのだよ。
情勢は良い方向に行っているようだが、実感として沸いてこないのだ。
だから今日、このワインを君と一緒に飲んで少しでも実感したいのだよ。」
メイドはワイングラスを私と男に持たせると、開封したワインをそそぎ込んだ。
私達はグラスを見ながらトワリングする。くるくる、くるくる。
グラスの中で踊る褐色の液體は、私の体液のようにも見え、樹液のようにも思えた。
「乾杯。」
デキャンタージュしていないワインは半ば閉じてはいるが、
喉に流し込んだ液體はは枯れ葉の匂いがして、重厚だった。月日を重ねてきたワインは
すでに劣化しているようにも思えたが、自分の重ねてきたこの月日を思い起こさせる。
「私は友、と云うものがゐなかった。私の周りに寄りつくのは私の財界的な力を
目的にして集まってきた奴らばかりだったからなのだ。」
男は未だに私を見たまま、私の話を聽いている。
「だが、君が來て私は友を知ったような氣がする。
本来、友とは君のような者を云うのだろうな。」
「そうなのでしょう。支える者は時としてそう呼ばれることがありますから。」
「支える者か・・・君は本当に何者なのだ。私は未だに君を掴み取ってはいない。」
男は吃驚したような顔をすると、一言、「私は庭師です。」そう答えた。
そうか、庭師か・・・。
「君は、本当に不思議な男だ・・・まるで・・・」
私の意識が薄れていく。私の手にあったワイングラスはシーツの上に倒れ、
紅い肝斑を作っている。眠い。そう、逝くのだな・・・。


「ご臨終ですね。」
医者は男に告げた。男は館主の手を組ませると、館主の額に口付けた。
「貴方はこれから如何なさるんですか?」
「私は館主が逝ってしまわれた以上、此處に残っている意味はありません。
二三日中に荷物をまとめで出ます。貴方は?」
男は館主の額を摩りながら、
「私は残ります。残らないと此處の庭の手入れをする人がゐなくなりますからね。」
と云った。医者は男の顔をまじまじと見ると、一言呟いた。
「貴方は本当に庭師なのですね。」
「ええ、そうです。」


葬儀場では葬儀に加えて火葬の準備がされている。
延延と司会が館主の生前のことについて述べているが、男は一人、庭の方へ歩いていった。
男は立ち止まると、新たに生えてきた木の芽を起こしてやる。
そして湖の方へ歩いていき、水面を一歩一歩と進み、消えた。

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