薔薇十字館

本当はずっと貴方を。・3


イングルノック


あれ以来、僕は出張しても啓介の部屋に泊まりに行くことはなかった。
啓介はあのまま退院していった。
僕に何も云わずに。それが何故か僕にはとても心地よかった。
このまま彼と会わなければ、もうあんな感情など思い起こしもしないだろうと、
そう思えた。そして僕は、またルーチンワークに戻った・・・つもりだった。


どくん・・・どくん・・・どくん・・・どくん・・・。
心臟の音が、五月蠅い・・・。五月蠅い・・・。五月蠅い・・・。五月蠅い!
僕はベッドから跳ね起きた。サイドボードの電話が鳴っている。
「よう。今日泊まりにいってもいいか?」
「悠木!?ちょ・・っと、待ってくれ。如何したんだ。」
それは数カ月ぶりの啓介からの電話だった。
僕の目はすっかり覚めてしまった。余りの不意打ちに夢の中の心音が具現化する。
「出張なんだ。泊めてくれ。」
そういう彼の言葉は切迫、いや、緊迫していた。
有無を云わせないような彼の言葉に僕は了承する。
彼はその言葉を聞くと頼む、といい殘して電話を切った。
駄目だ、今逢っては。
また、胸が焼け付く。胸が・・・。


部屋に來た彼は何も喋ろうとはしなかった。
リビングで、僕の差し出したワインを開け続けるだけで。
重いイングルノックを彼は黙々と飲み続けている。
明日の仕事はどうするんだ、という僕の問いにも答えないまま。
何杯も、何杯も。
そうしてあれだけ重かったイングルノックが開いたとき、彼の口も開いた。
「お前、美紀のことが好きなのか?」
「・・・いや・・・可愛い子だとは、思うけれども。」
僕は注意深く言葉を選びながら啓介に返す。
すると彼は、僕の胸ぐらを掴むと額を押しつけながら怒鳴りつけた。
「それなら何故あの時、あんなことを云った?
お前友達の彼女に手を出さないんじゃあなかったのか?」
今までため込んでいたのだろう。彼の大きな眸には涙が溜まり、
頬が上気している。ワインで濡れた朱唇が艶めかしい。
「何でお前、俺が寝てるベッドの横であんな事するんだよ!答えろ、柏木!」
僕は何も云わずに彼から目を逸らした。これ以上、見ていられなかった。
欲望が、血流と共に僕の中を駆けめぐる。
顔を、近づけないでくれ。僕に、近づけないでくれ。
願えば願うほど、彼は憤り、僕を揺さぶる。
「お前の彼女じゃあ不満足なのか?今の彼女では不満足なのかよ!」
「・・・いや、十分に満足しているよ。愛らしい婦だ。」
「それじゃあ、何で、何でお前・・・お前、自分の彼女の事、愛していないのかよ!」


ふ、ふふふ・・・。僕は突然、笑いがこみ上げてきた。
「自分の彼女の事を愛していない、か。」
僕は彼の手を振り払った。そして、笑い転げた。
「何が可笑しいんだよ、柏木!」
侮辱されたと思ったのか、彼は僕を起こそうともう一度襟を掴もうとする。
「愛しているさ!でも、僕は・・・。何でもない。あの時は悪かった。
僕も如何かしていたんだ。」
「お前、それで済むと・・。」
「美紀ちゃんのことは何でもない。手を出すつもりもない。
そう、僕は自分の彼女のことを愛しているよ。」
そして僕はもう一度、笑い転げた。自分が可笑しかった。
云えるわけがない。こんな事、云えるわけが無いじゃあないか。
啓介は奇妙なものを見るように僕を見つめる。
そう、それでいい。それでいいんだ。
何もこんな事にしなくても良かったんだ。
何でこんな事にしてしまったのだろう。傷つけることなく、
欲望を抑えて友達然としていれば良かったじゃあないか。


叶わぬ思い、それならば。


「なあ、悠木、忘れてくれ。僕が好きなのは・・・」
僕が好きなのは、貴方なのだから。

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