薔薇十字館

貴方の言葉は重すぎる。


「MITAKAキウイワイン」(毎年限定数販売)

吹きすさぶ風と共に、僕はメトロのホームから這い出た。
右手には愛用の鞄を、左手にはとあるバーテンダーからの手紙を握りしめて。
愛する古都は何の変わりもなく、僕が以前棲んでいた頃と同じように
月明かりが周辺を照らしていた。
僕は壁に寄り掛かると、右手の鞄を床に置き、握りしめて少し汗ばんだ手紙を開封した。
其処には昔なじみのバーテンダーが新しく店を開店した事と、その地図が書かれている。
また、來てしまったよ・・・。僕は大きく溜息をつくと、軽い鞄を抱え、
地図を頼りにバーテンダーの下を目指した。


僕は階段を上ると、引き戸を引いて店内に入った。
「いらしゃい!ようこそ遥々。」
「マスターに手紙を出されたら来ないわけには行かないでしょう。」
僕は笑いながらカウンターに腰掛けた。
カウンター内に陳列された大小のグラスは青い光で煌めいており、
木造のテーブルはまだ傷一つない。
白熱灯が照らし出す店内は、寛ぎの空間であることを誇示しているようにも思えた。
「仕事は大丈夫だったの、こんな時期に來て。」
僕は椅子に深く腰掛ける仕草をしながら笑って誤魔化した。


仕事は順調だ、といえるのならばどれだけ良いことか。
僕はあらゆる面で困難なシーンに直面していた。
仕事、戀愛、対人関係、自我同一性・・・とにかく、うまくいっていなかった。
だから、わざわざ此處まで來たのかも知れない。


マスターは何かを察したらしく、深く聽こうとはしなかった。
替わりにドリンクメニューを差し出すと、一杯、フリーで。と、にっこり笑いながら云った。
すかさず僕は「ロイヤルハウスホールドを。」と軽口を飛ばしたのは云うまでもない。


どれだけ時間が経ったのだろうか。
僕とマスターは当たり障りのない咄をしていた。楽しい時間だったが、もう、行かなくてはならなかった。
手元にあったブラントンを飲み干すと、僕はマスターにワインを頼む。
「最後にマスターお任せで。好みを抜きにして。」
マスターはにっこりと笑うと、それじゃあ、とっておきの一本を、といって
僕の目の前に一本のボトルを置いた。まるで僕が頼むことを知っていたように。
「これは・・・。」
僕は酷く困惑した。真逆此處で飲むとは思っていなかったものだからだ。
「キウイワイン。この市が生産しているワインだね。偶々手に入ったから、ね。」
マスターはコルクを抜くと、ワイングラスではなく、硝子の徳利と盃に注いだ。
差し出された盃を僕は口元に持っていった。
かぐわしく、若々しい薫りが僕の鼻腔を過ぎていく。
「・・・矢張り不思議な味ですね。ワインというよりもジュースのような感じですね。
美味しい、とはけして云えませんが、昔飲んだ時を思い出します。」
マスターは苦笑いを浮かべながら僕に話しかけた。


「何時でも此處に戻ってこいよ。但し、中途半端で終わらせてくるなよ。」


僕は店を出た。空には気味が悪い程星が出ている。
足を驛の方に向ける。自らの足取りが重いのか、軽いのか領らなかった。
「マスター、最後の一杯が一番効いたよ・・・。」


そして僕は、聲を立てずに、泣いた。

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