薔薇十字館

それとも私の・・・。


ラ・キュベ・ミィティーク’96

清清した。私の周りからは一切のものがなくなった。
というのも私の身の回りのものを全て処分して
ホテル住まいになったからである。
私は生活感のない室内にいた。
幾ら明るくしても微昏い照明に白壁。こじんまりとしたテーブルセット、そして
シングルベッド。
私はテラスに出て、何年かぶりに彼が嫌っていた煙草に火を付けた。
大きく肺に入れて、吐き出す。私の薄い唇から紫煙が細く這い出て、躯を包み込んだ。
こんな開放感、味わったのは何時だろうか。
白い星が群青色の空に輝いている。遠くではさざ波。そういえば、あの人と会ったのは
こんな場所だったような気がする。外を散歩してみようかしらん。
私は水色のワンピースを身にまとうと、白い部屋から白いエントランスに向かった。


彼と会ったのは場所は違ったけれども、このホテルが建っている處と似ていた。
彼が私の泊まったホテルレストランのギャルソンで、
彼の指先がテーブルに料理を置く度に、私の心は恋をした。
そして暫くして、彼と私は基督の前で永遠を誓った。なのに。


防波堤に波が当たる音を聞きながら、サンダルを鳴らして私は周辺を歩いた。
周りには子供連れや睦じい二人組の男女がちらほらと見える。
街灯にはうっすらと灯がともり、ベイエリアの雰囲気を増している。
私もあのまま彼と一緒にいればこうなっていたのかも知れない。
私は一つだけ空いていた白いベンチに座った。所々ペンキが剥げている。


だが、私は彼の元から去った。
彼は私が求めた全てをくれた。洋服もバッグも指輪も靴も勿論、愛も何でも与えてくれた。
なのに何故だろう、私が彼の元から去ってしまったのは。


私は部屋に戻ると、ボストンバッグの中からワインボトルを取りだした。
コルクを抜いて、薄いワイングラスに注ぎ入れる。
「ラ・キュベ・ミィティーク」。VdTなのにその表記を持たないワイン。
彼の元から出ていくときに、何故か持ってきてしまったワイン。
高いとは云えないワインを何故持ってきてしまったのだろうか。
私は淡目のガーネットを口元に持っていった。
軽やかな芳香、様々な薫りが入り交じっている。
もしかしたら素晴らしいワインなのかも知れない。私は期待した。
そして喉にワインを流し込む。
美味しい。ブレンドワインらしい複雑な味わいが、私の口の中に残る。
でも、何故だろう、フィニッシュが異常に短く、味気なく感じた。
そんなはずは・・・。嫌な予感がして私はグラスに継ぎ足し、喉に流し込んだ。
そう、私の予感は外れていた。慥かに美味しいワインなのだが、上質なワインではなかったのだ。
私の気持ちと同じなんだろうな。私はグラスの中で揺れるワインを見つめながら、溜息をついた。
何かが欠けている。もう少しで滿たされるのだけれども滿たされない感じ。
正にこのワインと同じだった。


身支度を終えると、ローパ・ケンゾーを頭の上にスプレーした。
睡蓮、ウォーターミントがブレンドされた薫りが降り注ぐ。
もう一度、彼の元に戻ろう。


私が欲している何かを見つけるために。
ワインのように、欠けたままでは駄目だと感じたから。

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