薔薇十字館

僕の、夏の、一日。


アスティ・スプマンテ・ガンティア

「暑い・・・何でこんなに暑いんだ!」
僕はローテーブルに向かっていた躯を後ろへ思い切り投げ出した。
外ではハウリングしたラジオのように蝉が鳴いている。
日本人は軽やかな音で暑さを紛らわそうとしたのだが、
その些細やかな自然への抵抗も僕には意味のないものだった。
クーラーを入れると日本男児という肩書きが廃る。
「はあ・・・。」
机の上には資料が散乱している。ベッドには衣服が脱ぎ散らかされていた。
辺りを見回せば見回すほど、僕の仕事への意欲が薄れていった。
このままではいけない。何か気分転換を・・・。
「そうだ、買い物へ行こう。」


スーパーマーケットのテーマソングが流れている中で、僕は買い物かごを下げて
ぐるぐると店内を巡回った。
久しぶりに入った大型店内には僕の食指を動かすに足る食材が山のように積まれていた。
そして何より
「涼しい・・・。」
此處にいたい、という欲望に駆られながらも、本来の目的を果たそうと
目を陳列棚に向ける。
其処には「ワインフェア」と大きく銘打たれたコーナーが設置されており、
赤ワインを中心に並べてあった。
赤ワインねぇ・・・。
ワインの説明の處には「仏蘭西の秀逸なワイン」「伊太利亜から直輸入!稀少!」
と歌っているが、何のことはない只の安ワインだった。
多分、ワインブームに踊らされている日本人が始めに瞞されるものなのだろうな・・・。
そんなことを思いながら赤ワインの隣を通り過ぎようとすると、
2本だけ、碇肩のボトルの横に、緑色のボトルが置いてあった。
「そうだ、これを買おう。」


部屋に戻ると僕は買い物袋から買ってきたものを取りだした。
菠薐草、牛肉、玉葱、人参、牛蒡、馬鈴薯、そして、卵。
鍋にお湯を沸かして塩を入れる。その間にだし汁を作っておいて、
菠薐草を湯通しする。へたを切り落とし、だし汁に付け、これで菠薐草のお浸しの完成。
牛肉、馬鈴薯、人参、玉葱を改めて沸かした湯の中に入れ、
調味料で味付けし、煮込む。これで肉じゃがの完成。
フライパンに千切りにした牛蒡と人参をいれ、
ごま油であぶって、醤油と砂糖、唐辛子をつっこみ、煮込んできんぴらの完成。
そして僕は冷蔵庫からありったけの氷を深い鍋の中に入れると、買ってきたワインを差し込んだ。
1時間、2時間・・・玉のような汗が僕の額から落ちる。
扇風機の回る音が風鈴の音をかき消す。
もう良いかな。僕はユニットバスでシャワーを浴びて身支度を整える。
受話器を取り、この仕合わせな時間を共有する婦へ連絡を入れた。
「今から迎えに行くよ。」


まるで厳粛な儀式の前のように、僕の隣にいる婦は目を水平にしてボトルを見つめる。
僕はマナーに反して勢い良く茸型のコルクを抜栓した。
これだけ苦労をしたのだ。景気よくいかねば。
「アスティ・スプマンテ・ガンティア」をフルート型グラスを注ぎ込む。
これはこの婦も好きなワイン。夏の暑い日に今日のようにきりと冷やしたアスティは格別だ。
青林檎のような薫りをたたえながらグラスの中で発砲している。
「さあ、食べようか。」
甘いアスティは砂糖を使って甘辛く作った料理にも合う。
相性判断なんてあてにならない。
僕は無心に食べ続ける婦に向かってにっこりと微笑みながらこう囁く。
「どう?僕の作った料理だから美味しいはずだよ。」


自分の作った料理に舌鼓を打つのも悪くはない。
そう、こんな日も悪くはないね。
夏の日の、些細やかな、休息。

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