薔薇十字館

マスター。


トカイ・5プット

「愛しているわ、あなた・・・。」
女は左の頬をなで上げながら僕にそう、囁いた。
彼女の右手の中指には、趣味の悪い大きな石のついた指輪が填められている。
そう、今僕がくれてやったのだ。此の女に。
僕の前を通り過ぎていった女は星の数ほどいるが、今まで全ての女は同じ事を口にした。
「愛しているわ、あなた。」
僕は膝の上に置いていたナプキンを丸めてテーブルの上に投げ、口元を歪めた。
「貴方が好きなのは僕じゃあない。僕の財力だろう?」
すると女は開き直ったらしく、飲みかけのシェリーグラスの中に溜まっている
澱のようなどす黒いシェリーを飲み干した。
「そうよ。貴方も私の躯が好きなんでしょう?それで良いじゃあない。」
ふ、ふふ・・・。
僕はにこりと微笑むと、彼女の高そうな服に向かって唾を吐いた。


「何?また捨ててきたの?」
マスターは呆れ顔で僕にパンをと水を差しだした。
「マスター、そう云わないでくれよ。」
僕は紅く腫れた頬を撫でながらパン切れにかじりついた。
此處には何年通っているだろうか。
僕がまだ駆け出しの頃からカウンターに座っていたような気がする。
この店の開店と同時に、僕も走り出した。
僕の地位が上がるに連れて、此の店の名前も売れていった。
偶に自分を投影したような気分になる。
「どうせ泣かせたのは君じゃない。何でいつもそんなに肩を落とすの?」
マスターはにこやかに僕に話しかけてくれていたが、
マスターには悪いが、話す気にはならなかった。
好きでこうなってしまった訳じゃあないんだ。只、僕の求めている婦じゃあなかった。
只それだけなのだ。
何時までもうなだれている僕を見かねたのか、仕方ないわね、と一本のボトルを
僕の前に差し出した。
「・・・これは?」
「君へのプレゼントよ。ほら、昔此處の一周年祝いにってくれたじゃあない。」
そう、僕はなけなしの給料をかけて此處の一周年祝いに贈ったのだ。
初めて買うワインに気負いながらも贈ったワイン。
「トカイ」だった。5プットのトカイは当時の生活を切りつめる僕にしては
大変な買い物だったことを覺えている。
マスターは冷えたサワーグラスにトカイを入れると、
「33歳の誕生日、御目出度う。」といって彼女はコースターにのせる。
「ああ、・・・有り難う。」
誕生日のことなどすっかり忘れていた。
黄金色に輝くトカイを口に含むと、砂糖とは違う貴腐葡萄の甘みが口の中に広がり、
芳しい香りが鼻腔から抜けていく。
「ねえ、マスター。」僕はワイングラスを傾けながらマスターの奇麗に通った鼻筋を見た。
「何?」
「・・・いや、何でもないよ。」
僕は微笑みを浮かべているマスターに向けてワイングラスを捧げる。
「僕の33歳に。」
僕はマスターに云をうとした言葉と共に、トカイを飲み干した。


マスターにあの指輪をあげたら、マスターどんな顔をするのかな・・・。

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