薔薇十字館

じゃあ僕も。


ラ・ボージュ・オー・デスュ’92

「ねえ。」
突然彼女は真面目な顔をして僕を真っ直ぐ見据えた。
「・・・なんだい?」
いつもにない彼女の表情を見て正直僕はびくついた。
もう付き合いだして二年を過ぎるくらいだろうか。
紆余曲折あったが、結局付き合っている。
初めは彼女の方から好きになってくれたのだが、今思うと彼女に嵌ってしまっているのは
僕の方だったと思う。
「で、だから何なんだい?」
次の言葉がとても聞きたいような、聽きたくないような複雑な心境で再度聞き返す。
彼女は真っ直ぐな眸のまま、僕にこう、告げた。
「・・・浮気したい。」
「・・・は?」
拍子抜けした、というよりも呆気にとられてしまったという方が正しいだろう。
「それは普通、僕に云うことかい?」
駄目、と云いたい唇が、剰りに馬鹿げた提案でこう動いてしまった。
「だって浮気したいんだもん。」
「駄目だろう、駄目だよ。」
我ながら馬鹿げた返答だったと後悔したが、次の瞬間、
一番聽かなければならないことを思いだした。
「何で?」
「だって、刺激が欲しいって云うか、ねえ、男の子紹介してよ。」
彼女を見ると、テレビのバライティー番組を見ながら返答している。
「それじゃあ僕のことを嫌いになったの?」
恐る恐る聞き返すと、そんなんじゃないの、と一言。
じゃあ何なんだよ、全く・・。


僕はいい加減、其の態度に飽き飽きしてワインストックから一本、
赤ワインを持ち出した。
「何、其のワイン。何時の間に買ったのよ。」
どうせ彼女は自分にプレゼントもくれないくせにワイン等にかまけている
とでも思っているのだろう。
構わずにソムリエナイフを取りだし、抜栓する。
「飲むだろう?」
グラスを二つ取り出し、彼女の前に置いた。
ワインはラ・ボージュ・オー・デスュ。マルゴーにも引けを取らない
新世界ワインだった。
上質のピノの香りがグラスから零れる。
「美味しいね。」
にっこりと微笑む彼女の無邪気さに惹かれつつも、理性では別のことを考えていた。
これはね、とあるソムリエが「私は伝統を愛するが、新世界に恋をした。」
と言わしめたワインなんだよ。
若し僕が浮気をするようなことがあれば、
君が僕の浮気な心を増長させたのかも知れないんだから、ね。

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