薔薇十字館

これも不器用。

僕はベルベットのジャケットをベッドに投げ捨て、ベッドの端に腰掛けた。
そしてサイドテーブルに置いていた煙草に火を付ける。
ゆらりと紫煙が天井に向かって立ち上っていく。
僕はシャツのボタンを2つ外すとゆっくりと横になった。


私と寢たいのならばもう少し不器用になりなさい、と
彼女は云うと僕の前から時速50Kmで去っていった。
その時の僕の胸には赤い薔薇、手には白いカラーを持っていた様な気がする。
気がする、というのはその一言があまりに衝撃的で、苦笑いを浮かべたこと以外の
あらゆる事柄が頭の中でもざいくがかってしまったからである。
これがつい3時間前のことだったなど、自分でも信じられなかった。
やれやれ。そろそろ僕も焼きが回ったかな。
僕はおもむろに起きあがるとワインラックからワインを抜き出した。
ソムリエナイフを手に取り、刃を引き出す。
何の軋みもなく、だからといって軽くない付け根の重さが心地良い。
誰から貰ったものなのか忘れてしまったが流石シャトーラギオール、
僕の期待を裏切らない。


期待通りね、でもその通り過ぎてつまらないわ。
これも彼女の言葉だった。
喫茶店で靜かな談笑という名の冷徹な火花を散らしている最中だっただろうか。
彼女は一言で僕から勝利をもぎ取った。
此の僕から、たった一言で。


数時間前の記憶をなぞりながらワインのコルクを抜き去り、
グラスに注ごうとしたところでふと、僕の手が止まった。
余程後遺症を殘したのだろう、エチケットさえ見ていなかったのだ。
僕は慌ててエチケットを見ると、其処にはシャトー・ルブルデュと書かれている。
この様なワインを買った覺えはなかったが、何處かで衝動買いでもしたのだろう。
グラスに注ぎ込むと深いガーネット、いや、死斑に近い色の液體がボトルの中から
溢れ出す。気持ちの悪い色だな、等と思った其の瞬間、沸き上がった芳香に僕は眩暈を覚えた。
成る程、クリュブルジョワを受けるに相応しい。
ワイングラスを軽く回して口に含むと、圧倒的な存在感を見せつけるように
僕の口腔を席巻した。
熟成した果実の香りと此の存在感、僕を唸らせるには十分だった。
だが何か欠けている。何かが。


君は私を落とせないわ。
食事を終えて散歩の途中に云われた最後の言葉がこれだった。
其の自信に満ちあふれた言葉と笑顔をその時は理解できなかったが
今なら理解できる。
此のワインには愛情がかけられていても、飲む僕がワインを愛していないから
こんな気分でいなければならないんだろう。
でも、僕はフリーザーからバターを取りだしてチーズナイフで切り分けた。
僕は本気だったんだよ。本気だったんだ。


君は結局私には敵わないのよ。
口の端を上げながら勝ち誇る彼女の顔とその言葉が、過った。

後背を刺す