薔薇十字館

教師

意識して知ったわけではないが、とうとうまた全国学力テストが提案されているそうで、
僕は内心にやりとしている。
学力テスト、良い響きだと思うのは僕だけだろうか。
たかだか五教科500点の中で全国約200万人程度の中学生が競い合うのだ。
中学生諸君には頂点の無い世界で精々頑張って頂きたいが、
更に精進して頂きたいのは中学教師である。

教師は三つに分けられる。
天職の者、食い扶持の者、そして趣味の者である。
天職の者に僕からいう言葉は何も無い。
何故ならその者にとっての生甲斐が教師という職業なのだから、
それにどうこういうことはその者にけちをつけることになる。
・・・けちをつけることが前提なのだけれども。
まあだからこういう輩には教育指導案が変わろうが、
日本が占領されて国策が百八十度変わろうが、信念に従い、教師としての職務を全うするだろう。

国策が変わってうろたえるのが食い扶持として教職に就いた者だ。
マニュアル化した教師像を武器に「商売」しているので、
マニュアルが変わればアイデンティティも変えなければならず、
ついていけない教師は「失格」と烙印を押される。
ただ教師と言う職業、流石に不祥事を起こさない限り首を切られる事は無いので
安穏と職務をこなしているに違いない。
バブルがはじけて十年と少し、貴重な窓際族とも云える。

では趣味として教職に就いた者は如何だろうか。
趣味で教師を職業にする、といえば世間からは非難の声が聞こえてきそうだが、
かなりの数が生徒の前に立っているというのが現状である。
何故なら「天職」の者と区別が付き辛いからである。だから滅多な事でその馬脚を表す事は無いし、
或る意味柔軟に対応出来てしまう。
凄いね。真似しようとは思わないが。
趣味で教師を生業にしている者は、まず「仕事の充足感」を求める。
要は人に頼られたいのだ。
従順とは云わないが、未だ世間を知らない子羊の先導として存在する自分に酔うことで充足感を得る。
其れは満足だろう。無知な者に知識を授け、自らの僕として社会に送り込むのだから。
また、征服欲なのか支配欲なのかは知らないが、
学校、学年、学級の長たる自分を演出したがる傾向にある。
生徒の行いを語っているのかと思いきや、
何故か話は自分がいかに努力して素晴らしい生徒に変えたのか等の
自慢話になることが多すぎるのだ。
迷惑な話である。其処まで従順な信者が欲しいのならば、
宗教団体でも作れば他人の迷惑にならずに済むものを。
手当ても国家予算から減らされると専らの噂である教育現場で趣味に興じるのもいいが、
少しは自分自身を教育してもらいたいものである。

余談だが、僕の電話には六人の教職員から電話がかかってくる。
知り合いだということもあるが、タイプも話の内容もばらばらで、
上記のようなことの他に、何故か指導案やら年間授業の構成を相談されてしまう。
一寸待ってくれ給え。
昔、恩師に「どんな職業であれ、彼らは専門家なのだから、
例えば政治家が好い加減な決断をしたとしても
それには専門家であるが故の柵と知識から出てきているのだから、
或る意味正しいのだ」と教えられた。
・・・僕は教師じゃあないんだよ?

-真夜中に明日、部会発表があるという研究授業の指導案作成を手伝いながら。