薔薇十字館
パロディでオマージュ、そしてリスペクト

パロディとは皮肉の隠ったオマージュである。
オマージュとは礼儀正しいパロディである。
僕はオマージュを想像するが、口から出るものはパロディである。

日本人はこれらを「真似」という。所詮同一のことを手を替え品を替えしただけだという
こっぴどい評価を下すことが大好きである。
其の癖、自らは一つも創造的ではない。
批評家であっても評論家ではない。評論家であっても批評家ではない處は如何にも日本人らしい。

おまけに隠語が流行した所為でパクリやらと間違いなくパロディなのかオマージュなのか分からない評価まで下される。
酷い世の中だ。

別に創造物が他にないデザインであろうが他人と似たものを作ろうが、それが面白かろうがつまらなかろうが問題ではないのだ。
問題なのは、それがどう評価されるかどうかであって、
どんな手を使おうがマイナス要因の評価を下されるよりも遙にマシなのである。

パロディだろうがオマージュだろうがパクリだろうが真似だろうが、
オリジナルを超えた時、それはオリジナルになる。そろそろ日本人も理解すべきじゃあないかな。

散々欧米文化のコラージュを続けてきた日本ならば、その辺を理解するのは容易だと思うのだけれども。

認められないならば、颯颯と中国に抜かれてくれ。